スポンサーサイト
ちょっと忘れてただけだろ
2020年09月14日
.
引っ越してから生活リズムが乱れてしまい
日々におわれて、ついついブログから遠ざかってしまってたのさ
書きたいことがあふれてきているのに
いざキーボードに対すると
いや違う、これは違う
こっちを先に
ゆっくり考えてから
すると数ヶ月経っていたりする
ま、いいか
のんびりやっていこう
そうしたら数年経っていた
いかんいかん
次の予定は
菜根譚、顔氏家訓、言志四録など
ゲーテの箴言集もいいかな
引っ越してから生活リズムが乱れてしまい
日々におわれて、ついついブログから遠ざかってしまってたのさ
書きたいことがあふれてきているのに
いざキーボードに対すると
いや違う、これは違う
こっちを先に
ゆっくり考えてから
すると数ヶ月経っていたりする
ま、いいか
のんびりやっていこう
そうしたら数年経っていた
いかんいかん
次の予定は
菜根譚、顔氏家訓、言志四録など
ゲーテの箴言集もいいかな
座敷わらし2
2015年04月02日
旧家といえば古くからの家
山郷には数軒大きな屋敷があるけど、
旧家とは呼べないような気がする。
歴史を乗り越えていく地力がなければ、
人のいいムラオサで終わってしまう。
実際そのような庄屋さまや
禰宜さまや坊さま(僧侶)の伝説は多い
先ごろの311震災の際の地域民、地域指導者の
尽力の様子からも伝統は続いているのだ。
そう、わが地方には旧家が少ない
その少ない旧家はものすごく強欲な家系か、
すごい神のご加護に恵まれた清廉な家系であろう。
そのどちらかなのかについては、その家の神様を見ればわかる。
座敷わらしの家なら疑いなしだ。
山郷には数軒大きな屋敷があるけど、
旧家とは呼べないような気がする。
歴史を乗り越えていく地力がなければ、
人のいいムラオサで終わってしまう。
実際そのような庄屋さまや
禰宜さまや坊さま(僧侶)の伝説は多い
先ごろの311震災の際の地域民、地域指導者の
尽力の様子からも伝統は続いているのだ。
そう、わが地方には旧家が少ない
その少ない旧家はものすごく強欲な家系か、
すごい神のご加護に恵まれた清廉な家系であろう。
そのどちらかなのかについては、その家の神様を見ればわかる。
座敷わらしの家なら疑いなしだ。
座敷わらし
2015年03月29日
旧家の奥座敷、というと金持ちの小ぎれいな日本間のように感じられるかもしれないが、座敷わらしの隠れている奥の間というのは『やみま』のことが多い。
やみまは病み間であり闇間であり忌み間である。
東北の旧家とはいえ財産の蓄えが豊かとはいかない。次年度の準備は怠りないにしても数年先は見通せない。
数年毎に不作の年があり、十数年ごとに凶作に見舞われ、百年ごとに大飢饉が訪れ、そのつど庄屋はかろうじて切り抜ける(切り抜けられない場合は小作人もろとも消え去るのみ)、その際の境界線になるのがヤミマである。
大家族のうち病人がヤミマに入る。快復すれば居間に戻る。肺病病みが多い、快復は望み薄。脳梗塞、中気当たりというこれも快復は難しい。食料衛生状態が悪いときはヤミマから裏の墓地まで直通、、、
さらに凶作が続いたときは、年寄りがヤミマに入り、ついで女子供が入り、当主が残る。最後まで行かないうちに普通は少人数で村を捨て逃げ出すことになる、これを逃散といいます。
逃散後、廃村になったところに浮浪者が住み着くこともあった。浮浪者といっても街道筋でもなく山の中の話で、さらに山奥の難民が山裾の廃墟にたどり着いた状態といえようか。
最近までヤミマは東北の山村に多く存在した。肺病持ちは治療可能になったが、就業不能な高齢者などは目の着かない奥の間に隔離されていた。
やみまは病み間であり闇間であり忌み間である。
東北の旧家とはいえ財産の蓄えが豊かとはいかない。次年度の準備は怠りないにしても数年先は見通せない。
数年毎に不作の年があり、十数年ごとに凶作に見舞われ、百年ごとに大飢饉が訪れ、そのつど庄屋はかろうじて切り抜ける(切り抜けられない場合は小作人もろとも消え去るのみ)、その際の境界線になるのがヤミマである。
大家族のうち病人がヤミマに入る。快復すれば居間に戻る。肺病病みが多い、快復は望み薄。脳梗塞、中気当たりというこれも快復は難しい。食料衛生状態が悪いときはヤミマから裏の墓地まで直通、、、
さらに凶作が続いたときは、年寄りがヤミマに入り、ついで女子供が入り、当主が残る。最後まで行かないうちに普通は少人数で村を捨て逃げ出すことになる、これを逃散といいます。
逃散後、廃村になったところに浮浪者が住み着くこともあった。浮浪者といっても街道筋でもなく山の中の話で、さらに山奥の難民が山裾の廃墟にたどり着いた状態といえようか。
最近までヤミマは東北の山村に多く存在した。肺病持ちは治療可能になったが、就業不能な高齢者などは目の着かない奥の間に隔離されていた。
きなきなぼっこ
2015年03月01日
農作業に出るとき赤子は目を離すわけにもいかず田んぼの畦(あぜ)まで連れて行くのですが、危険ですのでエズコとよばれる幼児用シェルターに入れておきます。エズコ(嬰児籠)は藁製の盥形(たらいがた)ベビーベッドで小型の外出用と大型の室内据え置き形があります。
赤子のおもちゃに3DSは危険だし高価だし、当時はまだ発売されていないしで、赤子の世話はきなきなぼっこにまかされた。きなきなぼっこは小さな体で良く赤子につきあってくれた。舐められたり(齧られたり)しながらキナキナと呟いたり(泣いたり)と帰宅後まで大きなエズコに移ってまでも離してくれないのが常なのであった。
大型エズコで体を自由に動かせるようになった赤子は遊び相手をもっと欲しがりむずかる。
取っ組み合いの相手になるのがおしらさま、めがみさまは丸く布で覆ったボンボ頭(東北語です坊主頭の事)まがみさまは剥き出しのとんがり頭。でも、とんがりは誰ぞに齧られてちびた筆先状になっている。
夜も更けて、なかなか寝入らない赤子に親は脅す。のんのさま、くぅぞ(来るぞ)、のんのさまくぅめに(くるまえに)ねねど(眠らないと)のんのさま泣くぞ。
さらに、眠らぬ子に、のんのさま、ないでだぞ(泣いていたぞ)メンコかれるメンコかれる(東北語です:愛おしい子が食べられてしまう)とないでだぞ、かぐれねど(隠れないと)アモンコ来て、くっちゃがるぞ(噛み付くぞ)
そう言って布団をかぶせると親は寝てしまうのでした。
なんて乱暴な、とお思いかな。真っ暗な中に子供をほったらかしで自分だけビールを飲んでとお思いかな。
昔の事さ。電気はもちろん、ランプもまだ無い頃、隙間だらけの部屋に藁の布団
その家を隅の暗がりから見守っているのが座敷ぼっこ
赤子のおもちゃに3DSは危険だし高価だし、当時はまだ発売されていないしで、赤子の世話はきなきなぼっこにまかされた。きなきなぼっこは小さな体で良く赤子につきあってくれた。舐められたり(齧られたり)しながらキナキナと呟いたり(泣いたり)と帰宅後まで大きなエズコに移ってまでも離してくれないのが常なのであった。
大型エズコで体を自由に動かせるようになった赤子は遊び相手をもっと欲しがりむずかる。
取っ組み合いの相手になるのがおしらさま、めがみさまは丸く布で覆ったボンボ頭(東北語です坊主頭の事)まがみさまは剥き出しのとんがり頭。でも、とんがりは誰ぞに齧られてちびた筆先状になっている。
夜も更けて、なかなか寝入らない赤子に親は脅す。のんのさま、くぅぞ(来るぞ)、のんのさまくぅめに(くるまえに)ねねど(眠らないと)のんのさま泣くぞ。
さらに、眠らぬ子に、のんのさま、ないでだぞ(泣いていたぞ)メンコかれるメンコかれる(東北語です:愛おしい子が食べられてしまう)とないでだぞ、かぐれねど(隠れないと)アモンコ来て、くっちゃがるぞ(噛み付くぞ)
そう言って布団をかぶせると親は寝てしまうのでした。
なんて乱暴な、とお思いかな。真っ暗な中に子供をほったらかしで自分だけビールを飲んでとお思いかな。
昔の事さ。電気はもちろん、ランプもまだ無い頃、隙間だらけの部屋に藁の布団
その家を隅の暗がりから見守っているのが座敷ぼっこ
タグ :民話